通じない人の話。
と言っても
「外国語を話す人」という意味ではなく、
日常的に日本語を使って生活しているにも関わらず
「日本語の通じない人」という意味だ。
会話とはまず聞く事。
言いたい事を相手にひたすらぶつけるのではなく、
相手の話を聞く事こそが大事なのだと
繰り返し伝えたつもりだったのに。
会話は言葉のキャッチボールだと
繰り返し伝えたつもりだったのに。
およそ3時間。
話したいだけ話をしてもらいつつも、
その合間、合間を捕らえ、
出来る限り簡潔に伝えたつもりだった私の言葉は、
残念ながらカケラ程も伝わっていなかったらしい。
想像するに、恐らく、自身の考えが
まず絶対的大前提として「ある」のだろう。
そしてまた逆に、
それが「ある」事を絶対的大前提として
全ての事を考えているのだろう。
それは、入り口も出口も無く、
自らだけで完結している思考回路。
「思い込み」などという言葉では
到底表しきれない完全なループ。
もし、私に高い言語力があれば
そこにわずかでも穴を開けられたのだろうか。
違った結果を出せたのだろうか。
と言っても
「外国語を話す人」という意味ではなく、
日常的に日本語を使って生活しているにも関わらず
「日本語の通じない人」という意味だ。
会話とはまず聞く事。
言いたい事を相手にひたすらぶつけるのではなく、
相手の話を聞く事こそが大事なのだと
繰り返し伝えたつもりだったのに。
会話は言葉のキャッチボールだと
繰り返し伝えたつもりだったのに。
およそ3時間。
話したいだけ話をしてもらいつつも、
その合間、合間を捕らえ、
出来る限り簡潔に伝えたつもりだった私の言葉は、
残念ながらカケラ程も伝わっていなかったらしい。
想像するに、恐らく、自身の考えが
まず絶対的大前提として「ある」のだろう。
そしてまた逆に、
それが「ある」事を絶対的大前提として
全ての事を考えているのだろう。
それは、入り口も出口も無く、
自らだけで完結している思考回路。
「思い込み」などという言葉では
到底表しきれない完全なループ。
もし、私に高い言語力があれば
そこにわずかでも穴を開けられたのだろうか。
違った結果を出せたのだろうか。


